サークルクラッシュ同好会関東支部

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フロイト「精神分析入門」読書会(第8講ー第19講)

第八講 小児の夢

 

1、2、3、4段落:

 ・夢の歪曲作用という問題を精神分析の技法で克服するのを試みる前に、歪みのない夢というものがあるならば、それを取り上げるのが妥当かもしれない。

 ・小児の夢は、非常に歪みが少ない。この種の夢は、短く、明確で、首尾一貫し、わかりやすく、あいまいではなく、しかもまた疑う余地がない。

 ・夢の歪曲は5-8歳くらいからすでに始まるので、4-5歳までに年齢を限れば、幼児型とでも名付けられる夢をぞくぞくと見つけることができる。なお、成人の場合でもある条件の下では幼児型に似た夢が見られる。

 ・小児の夢は非常に容易に夢の本質を明らかにすることができる。そして、フロイトは、この解明がすべての夢に当てはまることを期待している。

 ・小児の夢を分析するには、特別の技法の適用や、小児を問いただすことは不要。しかし、小児の生活をすこしばかり参考にする必要がある。

*小児の夢が歪曲されている要素が少ないと言える理由は

 

第5段落以降:

 ・小児の夢は、筋の通った、心的行為と呼ばれて少しもおかしくないもの。

 ・小児の夢は夢の歪曲が(ほとんど)ない。そのため、夢の歪曲は夢の本質ではないことが分かる。

 ・眠りを妨げる刺激には、身体刺激のほかに心的な刺激がある。満たされなかった願望は、眠りを妨げる心的な刺激となりうる。

・夢は刺激から生じる。

・夢は願望の充足である。小児の夢は、残念な気持ち、憧れ、満たされなかった願望などをあとに残すような日中の体験に対する反応である。夢はこの願望を、直接にむきだしに充足する。夢は幻覚的な体験で、この願望を満たされたものとして表現する。なお、夢を引き起こすものはつねに願望でなければならず、憂慮や計画や非難ではありえない。

・小児の簡単な夢においても、願望を体験に置き換えるという歪曲がある。

 ・夢を錯誤行為との比較で説明する。夢においては、妨害される意向とは、眠ろうとする意向。妨害する意向とは、心的刺激、あるいはなにがなんでも充足を求める意向である。夢もまた妥協の産物であり、願望は満たされるが、眠りは続いている。

 

夢が願望の充足であるということを補強するいくつかの事実

 ・白昼夢も願望の充足という点を満たしている。また、夢に関するいくつかのことわざも同様。

 *「動物が自分が殺されるという夢をみるということを・・・」の下り、人間にはのちに死の欲動を認めているが、動物にはこれはないのだろうか?

・食事などの欠乏条件におかれた人を観察すると、きまってその欲求を充足させる夢を見ることを教えられる。

・性的刺激を受けてみる夢の場合は特殊。夢精を伴う夢の中で現実に欲求の充足を得られることがある。

・「焦慮の夢」自分の期待がいち早く成就することをみる夢

・「不精な夢」もっと眠っていたいと思う人が、すでに起きて洗面をすませたり、あるいはもう学校に来ていたりすることを夢に見る。

 

最後の段落

・小児の夢以外の夢は、われわれの考えているように願望の充足であるかどうかは、さしあたっては断言できない。

第九講 夢の検閲

 

第一、二段落

・夢の定義:眠りを妨げる心的な刺激(願望)を、幻覚的な充足によって排除するもの

・夢のうち、解明できた夢は「幼児型」のみ。

・他の夢については、未知の内容が歪められた代理物であり、夢を理解するためにはこの未知の内容にまで引き戻してみなければならないことが分かった。この夢の歪曲を理解することが次の課題となる。

 

第三段落

夢の歪曲についての検討事項

1.夢の歪曲の発生理由

2.夢の歪曲が果たす役割

3.夢の歪曲がどのようになされるか、その内実

夢の歪曲が夢の作業によるものであるから、まず夢の作業についてについて述べ、夢の作業をその中に働いているもろもろの力に還元してみようと思う。

 

第六段落 「この夢の成り行きは・・・」

 ・ここで紹介されている夢は、三か所の内容の欠落が存在しており、それらは全てつぶやき声で中断されている。

 ・つぶやき声で中断される部分は、厭わしく破廉恥な性的空想であり、この厭わしい空想を告白しなければならなくなった時に、顕在夢の内容は抜け落ちてしまうか、押さえつけられてしまう。

 

第7、8、9、10、11段落 「これらの空想の・・・」

 ・夢の会話の中で犠牲になった部分は、夢の検閲の犠牲になった。

 ・検閲されて削除された部分こそが、一番面白い部分、「最高の箇所」である可能性が高い。

 夢の検閲の第一の型(内容の脱漏):非常にあからさまに夢の内容の一部が欠落する。

 第二の型(変容):本来のものの代わりに、これを弱めたり、おおよそのところにとどめたり、ほのめかしたりする。

 第三の型(編成変え):アクセントの移動、内容諸要素の編成変え

 ・第二の型と第三の型をまとめて「移動」と呼ぶ。

 

第13段落:「というのは・・・」

 ・検閲という言葉は、力動的な関係を表現するための便利な述語にすぎない。

 ・自由連想において現れる抵抗は、夢の検閲が対象化されたものにすぎない。

 ・検閲の力は、消耗されるようなものではなく、持続的な制度として、その歪曲を保持し続ける意図を持って存在するもの

 ・同一の夢の中のそれぞれの要素ごとに抵抗の強さや歪曲の程度は異なる。

 

第14段落 「しかし、われわれが」

 ・テーマ:検閲を引き起こす意向とは何か?

 ・検閲する側の意向:夢を見た人の目覚めている時の判断によって承認される意向であり、これこそ自分の考えだと感じ取っているような意向

  (*自分が、それは自分の一部であると認めるような意向。「自分にとって自分であるもの」)

 ・自由連想を用い正しく行われた夢解釈を拒否する動機と、夢の検閲を行い、夢の歪曲を生ぜしめ。そのためにこそ夢の解釈を必要とさせた動機は同じものである。つまり、夢の検閲を起こす意向と、その夢の解釈に抵抗する動機は同じものである。

 

第15、16段落 「しかしさしあたりは」

 ・「検閲が加えられる意向、検閲を受けて夢の中で歪んだ形で表現される願望」の性質:

  ・徹頭徹尾非難に値するもの

  ・倫理的、美的、社会的な見地から許しがたいもの

  ・人があえて考えようとはしないもの、あるいは嫌悪の念をもってでなければ考えられないもの

  ・放縦で粗暴な利己主義の現れ

 ・眠るために外界から自己の関心を引き上げることにより、自我はすべての倫理的な束縛(われわれの美的教育など)から解放され、性的欲望の一切の要求を受け入れる。

 ・快楽追及の努力(リビドー)は、その対象を好き勝手に選び取る。むしろ、禁じられた対象(人妻、近親相姦)を最も好んで選ぶ。

 ・憎悪もまた同様に、ほしいままに荒れ狂う。

 

第17段落

 ・しかし、このような邪悪さは夢の本質ではなく、正当な願望の充足と認められるような夢もある。

 ・夢の検閲は、①夢の検閲を受けるべき願望がよこしまなものであること②そのときの検閲の要求が厳しいこと によって大きくなる。

 

第18段落以降 「ところで、われわれは」

テーマ:これまでの結論に対する反論への反駁

 ・夢解釈によって得られた科学的知見はまだ完全ではないので、もう少し冷静になって、精神分析家に時間を与えてほしい。

 ・夢の解釈は、以下の3つの前提に基づいている。

  • 夢にはそもそも何らかの意味がある(夢は心的現象である)
  • 夢をみている時には無意識な心的過程(本人が自覚していないが知っていること)が存在するという考えを、催眠法による睡眠から正常な睡眠に敷衍してよい
  • 全ての思い付きにはしかるべき根拠がある。

 

テーマ:夢を見た人が、指摘された意向を認めなかったところで、大した問題ではない。

・それこそがまさに夢を見た本人が気づかないでいる事柄なのだ。

・意識的な生活の中である意向が支配的であるからといって、それと反する無意識的な意向が存在しないということにはならない。

・心的生活の中には、対立する意向、もろもろの矛盾の共存を受け入れる余地があるのだろう。

 

テーマ:不快の感情を科学的な判断の動機として使うべきではない。

 

 テーマ:人の心の善と悪

 ・人間の本性の中に、利己主義的な悪が関与していることは疑いようがない。

 ・また、夢の検閲の存在は、人間の中に悪なる願望を抑制する機構の存在を示している。

 ・精神分析の成果により、人間の本性の中にある善と悪の関係をもっと正しくとらえることができる。

 

第十講 夢の象徴的表現

 

第1.2段落:

 ・夢の歪曲を引き起こしているものは、検閲だけではない。

 ・この要素は、われわれの技法の欠陥(自由連想において、何も連想が出てこない場合があるということ)に目を向けることで発見される。

 

第3、4、5、6、7段落:

 テーマ:分析者自身による夢の要素の翻訳

 ・「黙して語らぬ」夢に対しては、夢を見た本人に解釈を語らせるのではなく、分析者自身で解釈し、分析者自身の手段で翻訳(代理形成)をしてみようと思うようになる。

 ・この作業をあえてする決心をしない限り、夢は依然として意味がなく、関連性をもたないままに留まるが、全くよく似ている例を積み重ねていくと、やがては十分な確信をもってこれを行いうるようになり、夢の要素の一連のものに対しては、いつも一定の翻訳ができるようになる。

 ・しかし、自由連想の技法では、夢の同じ要素がいつも同じもので代理されるということは決してない。

 ・我々が経験を積みながら、この一定不変の代理物を十分に集めてみると、夢のこれらの部分は、実際、分析をする側の知識によって解釈していくべきものであって、夢を見た人の思い付きを借りなくても理解しうるものである、ということがいつか分かってくる。

 ・夢のある要素とその翻訳の間に存在するこういう恒常関係を、象徴関係と呼ぶ。

 ・夢の要素とそれの本来の思想の関係の4種類:全体に対する部分、仄めかし、形象化、象徴関係。

 

第8-11段落:

 テーマ:象徴関係を用いることへの議論

 ・一般的な夢占いと似たことができる。

 ・夢の解釈者をいい気分にさせ、夢を見た人を感嘆させるが、そんなことに惑わされてはいけない。

 ・自由連想を補助する技法であり、あくまで二つ合わせて有用な結果が出てくる。

 ・象徴関係については精神分析家の中でも激しい抗議がある。

 ・しかし、象徴性は夢特有のものではないし、また精神分析によって発見されたものでもない。

 *11段落の意味が分かりませんでした。

 

第12段落

 ・夢の中で象徴によって表現される事物の範囲:身体の全体、両親、子供、兄弟姉妹、出産、死、裸体、家屋。

男子

壁面が全く平らな家

女性

手をかけて身体を支えられるような張り出しの部分とかバルコニーがついている家

両親

皇帝と皇后、王と王妃、そのほか敬意を払われる人物

子供、兄弟姉妹

小動物や害虫

出産

母親と子供の関係

水(水の中に落ちる、水から這い上がる、人を水から救い上げる

 

死ぬこと

旅立ち、汽車旅行

死んでいること

暗い、畏怖を示唆するもの

裸体

衣服や制服

男性性器

聖なる数としての3

・形の上で似ているもの

ステッキ、傘、棒、木

・陰茎と同じで体の中に侵入して傷つけるという意味で共通点を持つもの

 メス、懐剣、槍、サーベル、尖った武器、銃

・水を吹き出すもの

 蛇口、じょうろ、噴水

・伸び縮みするもの

 吊りランプ、シャープペンシル

・道具

鉛筆、ペン軸、爪やすり、ハンマー、鍬

・重力に反して直立できる

 気球、飛行機、ツェッペリン飛行船、人間そのものの飛行

・他のもの

 爬虫類、魚類、蛇、岩、山、部屋を開ける鍵

 帽子、オーバーコート、ネクタイ

・複雑なあらゆる種類の機械類

・炎

女性性器

・腔洞があって中にものをいれることができるもの

 凹み、溝、洞穴、管、瓶、瓶、箱、小箱、トランク、筒、荷箱、ポケット

 船

・子宮に関連するもの

 戸棚、竈、部屋(窓や出入り口が大孔の意味を持つので、開いているか閉じているかが重要)、都市、城砦、居城、要塞

・性器の入り口の象徴

 玄関やドア、体の部位では口、建築物では聖堂や礼拝堂

・木材、紙や、それらでできている机、本

・かたつむりと貝類

・岩や森や水などのある風景、庭

・白い下着類やリンネル一般、靴、スリッパ

・蹄鉄

女性性器、処女性

愛人

宝石や宝物

性的愉悦

甘いもの

自分の性器の充足感

あらゆる遊び、ピアノの演奏

自慰

滑走や滑空、枝を引き裂くこと

去勢

歯の抜け落ちること、抜歯

乳房

りんご、桃、果物一般

情欲

野獣

陰毛

森や藪

両性の交わり

ダンス、乗馬、山登りなどのリズムを伴った運動

はしご、坂、階段、

車に轢かれる

手仕事、武器をかざしての脅迫

男女の区別の無い性器

小さい子供(小さい息子や小さい娘)

 ・これらの象徴の意味や、童話や神話などから知ることができる。

・象徴と仄めかしによる表現の間の限界ははっきりしない。

  ・象徴のうち、性別がはっきりしていないことは多い。

 

 ・象徴関係の具体例を多数収集することによって引き出せる3つの結論。

 第一:夢を見る人は夢の象徴的な関係を自由に使用しているのに、目覚めている時にはその象徴的表現法を知らず、確認もしないという事実がある。

    ・象徴に関する知識は、夢を見る人には意識されていないものであり、夢を見る人の無意識的精神世界に属している。

 第二:これらの象徴関係は、夢見る人や、あるいはこれらの象徴関係を表現する夢の作業などに特有なものではなく、神話や童話、俚諺や民謡の中にもみられる。

    ・これらの象徴表現は夢に限ったものではなく、昔はあったが今は無くなってしまった表現方法が、形を変えながら残っているものだと思われる。

 第三:夢以外の領域における象徴関係は性的象徴関係だけではないのに、夢の中では象徴のほとんどすべてが性的な対象や関係を表現するのに利用されている。

    ・スペルバーという言語学者が、性的な欲求は言語の成立と発達に最大の役割を果たしていると主張しており、この影響があるのかもしれない。

 

第十一講 夢の作業

 

第33段落「そうかと言って」

テーマ:「まとめ」

・夢の作業:凝縮、移動、造形的表現、二次的加工がある。

・それ以上のことは夢の作業にはできない。批判、驚嘆、推論などは夢の作業の成果ではない。

 

第1-3段落

テーマ:今までの整理

 ・夢の歪曲を克服するためには、

  • 夢を見た人に自由連想法を行い、代理物から本来のものへと迫る
  • 様々の象徴に対しては、その本来の意味を分析者の知識に基づいて突き止める

 の2種類の方法を用いる。

 ・顕在夢と潜在夢の関係は、

  • 全体と部分の関係
  • 近似または暗示(仄めかし)の関係
  • 象徴関係
  • 造形的な言語表現

の4種類がある。

・夢の作業:潜在夢を顕在夢に置き換える働き

・解釈作業:顕在夢から潜在夢に到達しようとする働き

・夢の歪曲:幼児型以外の夢の場合、夢の作業においてさらに付け加えられるもの。

 

以下、夢の作業が夢の潜在思想という材料から何を作り出すのかについての総括的な説明。

 

第5段落:

テーマ:夢の作業1「凝縮」

 ・顕在夢は潜在夢の内容よりも内容に乏しい。

 ・凝縮の種類

  • 脱落:ある種の潜在要素が完全に脱落させられる
  • 潜在夢の多くのコンプレックスのうちで顕在夢に移行するのはわずかで、その多くは移行しない
  • 共通なものを核とする一時的概念形成:ある共通点を持ついくつかの潜在的要素が顕在夢となるときは融合して一つの混成物を作り上げる

 以下、3番について

 ・言語的な表現(言語がくっつくこと)や機知も3番の一部

 ・複数の人物が重なることがある

 ・夢の作業では、二つの違った観念を区別しようとはせず、その二つの観念が落ち合うことができるような曖昧な言葉を探し出してきて、その言葉のうちにこれら二つの概念を凝縮しようとする。

 *言語は「構造」。

 ・凝縮は夢の検閲によるものではない。

 

第12段落:「夢の作業の第二の操作は」

テーマ:夢の作業2「移動」

 ・夢の検閲によって起こる。

 ・移動の種類

  • 潜在要素がそれ自体の構成要素ではなく、なにかそれとは縁の無いようなもの、仄めかしによって代理される。
  • 心的なアクセントが、ある重要な要素から、あまり重要でない要素に移っていく結果、夢の中心部も別のところへ移行する

 ・覚醒時にも仄めかしによって代理するということが見られるが、それは内容的な関連を持っており、理解可能な分かりやすいものである。対して、夢の場合は、この条件は存在せず、内容的な関連を持っていない場合や、理解しにくいものであることがある。そのため、仄めかしから本来のものへさかのぼると、その解釈はへたな機知か、むりなこじつけという印象を与える。

 

第15段落:「夢の作業の第三の操作は」

テーマ:夢の作業3「思想を視覚像に翻訳する操作」

 ・夢の個々の要素に対して、「造形的な言語表現」(*ある要素を、それと似た音の別の単語で表現すること)がある。

 ・「なぜ、だから、しかし」等の論理関係を示す品詞を図解することはできないので、テキスト中のこれらの品詞はテキストが絵に翻訳される際に失われる。

 ・夢の作業は、夢の潜在思想の内容を、夢の形態上の特異性(例:夢の明瞭度、夢の数)などによって表現する。

 ・夢がばかげたものに見えるときは、夢思想が「その思想はばかげている」という判断を表現しようとするときである。

 ・一方、ある要素が夢に現れたかどうか、ほんとうにそれだったかなどが不確かな時は、それは夢の検閲の結果によって起こったものであって、夢の思想の内容を表現するものではない。

 

第19段落:「最も予想外の発見といえるのは」

 テーマ:夢の作業3「思想を視覚像に翻訳する操作」の続き 「対立を取り扱う仕方」

 ・潜在材料中のいくつかの一致点は顕在夢の中では凝縮によって代理されるのと同様に、対立もまた一致と同じ扱いを受け、特に好んで同一の顕在要素を通じて表現される。そのため、対立物を持つことのできる顕在夢中の要素は、そのままでそれ自体を意味することもあり、対立物を意味することもあり、またその両者をともに意味することもある。

 *ある対象の状態がプラスでもマイナスでも、その対象の状態に対して関心を向けているということに違いはないから?

 ・似た現象は言語の発達過程の中にも見受けられる。同じ単語や語源を同じくする単語で全く逆の意味を表すものが多く存在する。

 ・夢の作業に見られるこのような特徴は、太古的と呼んで差し支えない。

 

第29段落:「さて、なお他の二、三の観点についてふれておきましょう」

 テーマ:「夢の退行」

 ・われわれの思想の最初の材料は、感覚的印象の記憶像である。これらの記憶像に、あとになってから言語が結び付けられ、ついでにその言語に思想が結合されている。

 ・夢の作業とは、この逆の流れを辿るものである。つまり、言語の形を取っている潜在思想を、再び感覚的な像(たいていは視覚的な像)に翻訳する。この退行過程では、記憶像が思想に発展するまでに新しく獲得したものは脱落せざるを得ない。

 *「記憶像が思想に発展するまでに新しく獲得したもの」は言語的なものである。

 

第32段落:「そうかといって」

 ・夢の二次的加工:夢の作業の一時的な成果を組み合わせて、ある全体的なもの、ほぼ調和のとれたものを作り出す。

 

第十三講 夢の太古的性格と幼児性

 

第1、2段落:「みなさん、」

 ・夢の作業とは、夢の潜在思想を夢の検閲の影響を受けながら別の新しい表現方法に変えること。

 ・この表現方法は、太古的段階にまでさかのぼるので、この表現方法を、太古的、あるいは退行的表現方法と名付けた。

  ・太古的段階とは

  • われわれがはるか昔に克服してしまった知的な進化の諸段階
  • 比喩的言語の段階  
  • 象徴関係の段階
  • われわれの思考言語が発達する以前にあったと思われる諸段階

太古の時代とは二つの時間を表している。

第一:個体の幼児期

第二:系統発生的太古時代

 

第3、4、5段落:

 テーマ:「夢の太古的性格のもう一つを説明するため、幼児期の記憶喪失に目を向ける」

 夢の太古的性格のもう一つ:幼児時代の忘れていた材料を自由に使用する。

 ・幼児期の記憶喪失には2つの注目すべき点がある。

  • 人間の生後5、6歳あるいは8歳ごろまでの体験は、後年の体験と違って記憶に残っていない。
  • 最初の幼児期全体の記憶が空白である中で、ばらばらないくつかの記憶がはっきりと保存されているが、いつまでも保存されている幼児期の記憶は必ずしも幼児期の重要な体験と対応するわけではなく、鮮明に記憶されているそれ相応の理由が見当たらない。

 ・実は、幼児期の記憶は、年月を経る間に凝縮、特に移動という過程を経て、記憶の中では重要とは見えない他のものによって代理されているだけであり、やはり重要なことだけが記憶に残っている。

 ・それゆえ、幼児期の記憶を隠蔽記憶と名付ける。

 ・精神分析による治療においては、幼児期の記憶の欠落を埋めることがごく普通の課題であり、忘却によって隠蔽されていた幼児時代の体験内容をふたたび明るみに出すことができる。

 ・幼児期の印象が夢に結びついて浮き上がってくることがあり、夢の営みが潜在的な幼児期への体験へ通じる道を知っていることが分かってきた。

 

第6、7、8段落:「ところでこの説明は、」

 ・夢の潜在思想がひどく性悪で放埓な願望で、夢の検閲を必要とするような夢をみた時、この種の夢  夢を、本人に説明してやると、「自分にはそのような願望とは無縁だと思うし、むしろ意識しているものはその反対のものなのに、どこからそのような願望が自分にやってくるのだろう」という質問が起こるが、質問の回答は「この性悪な願望のうごめきは、過去から来ている。」というものだ。

 ・過去に克服されたはずの願望が刺激となって夢を生じさせることがある。

 ・「なぜ過去に克服されたはずの願望が刺激となって夢を生じるのか」についてはここでは述べない。

 

第9-14段落:「だれかを亡きものにしたい」

 テーマ:「幼児のエゴイズム」

 ・誰かを亡き者にしたいという願望の大部分は、夢を見る人の無際限のエゴイズムに原因がある。

 ・人生の最初の数年間の幼児の時代には、誰かが実生活の中で自分の邪魔になると、誰であろうと構わず夢の中で殺そうとするようなエゴイズムが、しばしば現れる。

 ・この時代は、ちょうど例の記憶喪失によっておおわれてしまう時代である。

 

 ・幼児の発達:「幼児は、エゴイズムを通じて愛することを学び知る」

  ・幼児は最初は他人ならぬ自分自身を愛する。

 ・はじめから幼児が愛するように見える人物でも、実は彼にとってその人物が必要だし、欠くことができないものだから愛するに過ぎない。

  ・のちになって初めて他の人間を愛し、他の人間のために自分の自我の幾分かを犠牲にすることを学び取る。のちになって初めて愛の感情はエゴイズムと無関係なものになる。

 ・幼児は、兄弟姉妹を親の愛情をめぐる競争者とみて憎む。

 ・両親と成人した子供との間には、多くの敵意が入り込んできていて、もしいたわりの気持ちと愛情による抑制がなかったら、そういう敵意があらわに出てきてしまう。この敵意は特に同性を互いに離反させる傾向を示す。

 ・娘は母親のことを、「自分の意志を抑えつけ、性的自由の断念という社会の欲求を自分に守らせようとする使命を持った権威」とみなす。

 ・息子は父親のことを、「いやいやながら我慢していなければならぬ社会的強制力の権化」とみなす。

 ・夢の中で両親、とくに同性の親を亡き者にしたいという願望が暴露されたとしても、これを不思議に思う必要は少しもない

 

第15、16段落:「私がいま問題にしているのは」

 テーマ:エディプスコンプレック

 ・「性的な特性がはっきりと強調されている愛情を巡る競争」

  ・男の子は幼い時代にすでに、自分のものと思い込んでいる母親に対して特殊な優しい情愛を示しはじめ、その独占を巡って自分と争う父親を競争相手と感じ始める。

  ・幼い女の子も母親の中に、父親に対する自分の優しい愛情を妨げ、自分だって立派にこなせると思っている地位を占有している競争相手を見出している。

 ・このような心的態度を「エディプスコンプレックス」と呼ぶ。

  ・同性の親を殺し、異性の親を手に入れようとする二つの極端な願望。

 ・エディプスコンプレックスは、非常に多くの批判にさらされている。

 

第17、18段落:「これまでの調査によって」

 テーマ:幼児性欲

 ・幼児の性生活の発達:

  ・幼児ははじめから内容の豊かな性生活を持っている。

  ・私たちは、正常な性というものを想定するときに、「人間と動物の区別」「嫌悪感の限界」「近親相姦の禁制」「同性愛の禁制」「性器の役割」などの制限をおいているが、これらはあくまで発達と教育のなかで形成されるものであって、幼児はこのような制約を持っていない「多型倒錯型」である。

 ・例えば、近親相姦的な愛の選択こそが(制限のない幼児からすれば)最初のごくあたりまえの選択であって、これに対する抵抗はのちに形成される。

 

第19、20段落:

 ・幼児の心的生活は、エゴイズムや近親相姦的な愛の選択とともに無意識の中に存在し続けている。

 ・夢はわれわれをこの幼児期の段階に連れ戻すものである

 ・心的生活における無意識のものとは幼児的なものである。

 ・夢の邪悪な欲望の働きは、幼児性を示すにすぎないので、邪悪な夢を恥じる必要は理性的に考えてない。

 ・しかしながら、人間は邪悪な夢を恥じることがある。このことについてまだ考察の余地がある。

 

第21段落:

 ・第一の知見:夢の作業の退行は、われわれの思想を原始的な表現形式に翻訳するばかりではなく、われわれの原始的心的生活の諸特性をふたたび目覚めさせる。

 ・第二の知見:幼児型のものはすべて、今日では無意識的なものの中に数え入れなければならない

 *前意識と無意識?

  前意識:昼の名残:覚醒している間にも考えようと思えば考えることができたもの

  無意識:幼児的領域から発してくるもの

 

第十四講 願望充足

 

第1-3段落:

 テーマ:幼児型の夢の分析において「夢は願望の充足である」という見解が得られたが、これは幼児型ではない夢、歪曲を受けた夢についても妥当するのか?

 ・素人批評家によって、「夢の中に苦痛の感覚があるとは、夢は願望充足であるという立場からすればおかしな話ではないか」という疑問が提示されている。

 

第4―10段落:

 テーマ:なぜ「苦痛な夢」が存在するのか?

 

 第一:「夢自体は願望を充足させようとしたにも関わらず、その意図が十分に成功しなかったために、思想中の苦痛の感情の一部が顕在夢中に残されている」

 第二:「夢が充足させた願望が、夢を見た本人にとって非難や拒絶するべき願望であるため、願望充足が快感をもたらさず、それとは反対のものをもたらす」

 *多重人格的な心の在り様を示唆している?

  ・不安夢はむき出しの願望充足であり、「いまわしい願望」の充足である。

 第三:「人間の心的活動の中には、(自らを?)懲罰したいという意向があるから」

 

第11段落は具体例

 

第12―17段落:「われわれは必ずしも」

 テーマ:「夢は願望充足であるかどうか?」

 ・この点は夢の全理論の中でもっとも危険な点の一つであり、多くの反論や誤解もこの点に結びついている。

 ・夢は願望充足であるか、現実化された不安、また現実化された懲罰であるとフロイトは主張。

 ・反論:夢は多義的であってはいけないのか?

 ・なぜそうであってはいけないのか、フロイトには分からないが、今までの研究成果から考える限り、夢は願望充足である。

 

第23段落:

 テーマ:昼の名残と無意識的願望の関係

 ・無意識的願望が、夢を作る心的エネルギーを提供する。

 ・昼の名残が、提供された心的エネルギーをどのように使うかを決定する。

 無意識的願望が方針を定めることもあるし、昼の名残がエネルギーを持っていることもありうる。

 

第十五講 不確実な点と批判

 

1:顕在夢を潜在夢に正確に翻訳することは可能なのか?

 批判1:夢の特定の要素については、そのままの意味にとればいいのか、象徴的な意味にとればいいのか決定する客観的根拠がない。

 批判2:夢の作業では相反する要素が一致することがあるので、それをポジティブにとるのかネガティブにとるのか決定することができない。

 批判3:夢の中ではさまざまな裏返しが起こるので、解釈の上でこれは裏返しであるかどうかが決定できない。

 ・以上の点は、解釈者の熟練、経験、理解力に任せられることになる。

 

2:夢解釈の中には、牽強付会に見えるものが相当数ある。

 ・夢は、夢の検閲の中の「移動」作用によって、われわれが仄めかしと呼んだ代理物を形成する。

 ・仄めかしは、そもそもとして、

  ・仄めかしであることが容易に分からない

  ・仄めかしから本来のものへの帰路がたやすくは見つからない

  ようにできているものであり、仄めかしと夢の潜在的要素の間には、突拍子もない、きわめて特殊な、時としては滑稽で、時としては機知のように見える結びつきが可能である。

 ・潜在的要素と顕在的要素の結びつきの理由を言い当てるには、夢を見た本人の助力が必要である。

 ・夢を見た者の機知が、夢を解釈するものの機知として受け取られてしまう場合があるが、これは誤解である。

 

3:他の精神分析家からフロイトに加えられた批判について。

・夢は現在に対する適応の試みであるばかりではなく、将来の問題を解決しようとする試みであり、したがって「将来を予想する傾向」に従うものではないのか?(A・メーダー)

  ・この主張は、顕在夢と夢の潜在的思想の混同に基づくものであり、夢の作業を無視している。

 

4:分析的治療を見ている患者は、治療者の好みに合うように夢を見てしまうのでは?

 ・治療者の話や刺激が被分析者にとって十分に意義深いものになれば、「昼の名残」の圏内に含まれる。

 ・さほど重要視するべき問題ではない。

 

 

第16講 精神分析と精神医学

 

第1、2、3、4段落

テーマ:フロイトの姿勢

神経症は錯誤行為と夢といろいろの共通点を持っている。

・今までの議論とは違い、聴講者の疑問や反論に一つ一つ答えていくことはしない。なぜならば、神経症という現象は、聴講者にとって未知のものであり、フロイトと同じように長年、同一の材料について研究を続け、その際に同一でしかも新しい驚くべき経験をみずから体得したものだけが、確信を持つという権利があるからである。

フロイトの講義は思弁的体系というよりも、経験であり、観察の直接的な表現や、また観察に手を加えて出来上がった産物。

 

第5、6,7段落

テーマ:ある症状行為

・診察室のドアを閉め忘れるという「症状行為」には、医者に余計な尊敬をささげようとしたことの仕返しをしようという意味および意図を持っている。

・このように外に示された経過は、それを行う当人には意識されていない。

 

第8段落から―

テーマ:ある婦人患者の妄想

・婦人患者は、夫がある若い娘との間に恋愛関係に陥っているという「妄想」に苦しみ、嫉妬に苦しんでいる。この「妄想」は、現実にありえないようなばかげた妄想ではないが、論理的にも現実的にも十分な根拠がなく、嫉妬妄想と呼んでも良い。

・(この時代の)精神医学は、この妄想について説明するとき、遺伝的な要因以外には何も説明できないだろう。

・一方、精神分析を用いると以下のことがわかる。婦人は、彼女の婿にぞっこん惚れ込んでいたのだが、彼女は貞淑な妻としてこのような恋心をあってはならぬこととして意識にのぼらないようにしており、「移動の規制」によって、夫も同じように若い娘を愛していると考えるようになった。

・精神医学と精神分析は相補的で両立しあうもの。精神分析に対抗しているのは精神科の医者であって、精神医学そのものではない。

精神分析は、いまだ妄想に対して治療効果を持たないが、精神分析が治療効果を持っている広範な神経症精神障害のグループが存在する。

 

 

第17講 症状の意味

 

第1、2段落

・臨床精神医学は個々の症状の現象形式および内容にはあまり重きを置かないが、これに反して精神分析はまさにこの点に手がかりを求めて、まず症状には意味があり、患者の体験と関連している。

神経症的症状の意味ははじめにブロイアーが発見した。神経症の諸症状には錯誤行為と同様に意味がある。

強迫神経症とヒステリーの神経症の二つの形式は、精神分析が最初その研究の上にうちたてられたものであり、また精神分析が治療に大いに成果を上げている。

・中でも強迫神経症は、心的なものから身体的なものへ移行する飛躍がなく、ヒステリーよりも理解しやすい。

 

第3、4、5、6段落

テーマ:強迫神経症の定義

強迫神経症とは、患者が本来自分には関心のない思想に心を奪われ、自分とはなんの縁もない衝動を自分の内に感じ、しかも、それを実行しても何の満足感もないのに、どうしてもせずにいられないような行為にかりたてられる、という形で現れる。

 

第7段落以降―

強迫症状の二つの実例

 

1つ目の例:

・古い観察例

・三十歳近い婦人。

・強迫症状の中身:自分の部屋から隣の部屋に駆け込んでいき、その部屋のまんなかにあるテーブルのそばの一定の場所に立ち、ベルを鳴らして女中を呼び、どうでもいいような用事をいいつけるか、何も言いつけないままで引き取らせてから、また元の部屋に駆け戻る

・背景的エピソード:十年以上も前に、彼女はずっと年上の夫と結婚したが、婚礼の夜に夫がインポテンツであることが分かり、ベッドのシーツに赤いシミを付けて女中に見せることができなかった。

・症状の意味:彼女は、結婚初夜の情景の中で、夫と自分を同一視し、女中にテーブルのシミを見せることで、夫がインポテンツではないことを女中に見せようとしている。

 つまり、彼女はあの場面をただ単に反復しているだけでなく、その場面の先をさらに続けながらこれを修正し、正しい方向へ向けている。夢の場合のように、彼女の「夫をあの時の不運から逃れさせたい」という願望を、現在の行為の中で、すでに実現されたものとして表現している。

 

2つ目の例:

・患者は19歳になる娘。

・これというはっきりとした外的要因がないのに神経質になってしまった。

・症状行為:寝る前の就眠儀礼として、

・自分の部屋の大時計をとめ、他の時計をすべて部屋から出してしまう。

・植木鉢や花瓶は、書き物机の上にまとめておく。

・自分の部屋と両親の寝室との間のドアを半分開けておくことを要求する。

・ベッドの頭部のクッションがベッドの枠板にふれてはならず、枕は大きなクッションの上にひし形になるように置かねばならない。

・症状の意味:

 ・時計は女性器の象徴であるので、陰核勃起の不安を引き起こすため、排除された。

 ・植木鉢や花瓶は、最初の性交時における処女性と出血ということに関連したコンプレクス全体の拒否を意味していた。

 ・ベッドの枠板は男性、クッションは女性であり、男女が触れないようにしていた。

 

 

 

 

 

第18講 外傷への固着 無意識

 

第1、2、3、4段落

テーマ:前回の事例から導かれる結論の一つ目

・二人の患者はどちらも、あたかも自分たちの過去のある一定のところに縛り付けられて(固着)いて、どうしたらそこから自由になれるのかが分からず、そのために現在と未来から身を遠ざけているような態度を取っている。

 ・第一例の患者は、「現実にはもう放棄されている夫との結婚生活」が固着対象。

 ・第二例の患者は、「思春期以前にすでに生じていた父親への性的な執着」が固着対象。

 

第5、6段落:

神経症者のこのような態度に、外傷性神経症がよく似ている。彼らは、夢の中でその外傷の起こった情景を反復している。

・この外傷的という表現は、「短期間のうちに心的生活の中の刺激が行動に増大するため、正常のありふれた仕方ではそれをうまく始末する、またはこなしきることができず、その結果としてエネルギーの活動に持続的な障害を与えざるをえないような体験」(=経済的?)を指す。

 

第9、10、11、12,13段落:

テーマ:前回の事例から導かれる結論の二つ目

・強迫行為を繰り返していた間は、この行為があの過去の体験に発するものであるということに患者は全く気付かないでいる。

・治療の後、「その強迫行為がどの過去の体験に発するものであるか」(=症状の由来)は本人が告白できるようになったが、「強迫行為の意図、つまり苦痛に満ちた過去をどのように修正したいのか」(=症状の目的)という点については何も知らなかった。

・つまり、症状の意味は、いついかなる場合でも患者に知られていない。また逆に、われわれがある症状に突き当たるごとに、この患者には特定の無意識な過程が存在しており、まさにその過程にこそこの症状の意味を内包している。さらに、症状が成立するためには、この意味が意識されていないことが必要であるし、この無意識的過程が意識されてしまえば(*これは単なる「知る」ことよりも狭い意味である)、症状は消滅する。

・このことから、強迫症状の原因となっている「衝動」は、意図できる範囲の外にあること、そういった心的な営みの他の領域から切り離された特殊な一領域があることが分かる。

 

第15段落:

テーマ:まとめ

・症状形成は、表面には出ないでいるある別のものの代理。

・ある種の心的過程は、正常な場合には意識がついにはその存在を知るに至るほどに広範囲に発展すべきだったが、何らかの意味で妨害されて(抑圧されて?)しまい、無意識の状態にとどまらざるを得なかった。そして、その無意識的な過程から何か交換のようなことが起こって症状が生じた。

・この交換を元に戻すことができれば、神経症の症状は治療できる。

 

第16段落以降:

・我々の今後の努力は、

 ・どのような経過で人間が病気になり、神経症という生活態度を取るようになるのかという臨床上の問題

 ・神経症の諸条件から症状はどのようにして発展してくるのかという心の力学

神経症患者の健忘は、本来あるはずの関連を断ち切るという形で、症状の発生に重大な関係がある。

 ・症状の由来は、かつては意識的なものであったが、忘却のために無意識なものになる。

 ・症状の意味は、はじめから無意識的なもの。

 

 

 

 

第19講 抵抗と抑圧

 

第1-9段落

テーマ:一つ目の経験、抵抗

精神分析の治療中、医師が患者を症状から解放しようとすると、患者は治療の全期間中抵抗し続ける。

・抵抗1:思いついたことは全て言うように言い渡すと、患者は何も思いつかないとか、どう言っていいか分からないなどと反論する。

・抵抗2:知的な反論、つまり精神分析に対して言われている批判と抗議を患者自身が持ち出してくる。

・抵抗3:感情転移 男性が医師に父親を見たり、女性が医師に父親を見たりする。

 

第10段落 ところで、患者の症状を

・抵抗を生み出す力は、かつて強い力でこの状況を作り出した力と同じもの。

・問題の心的過程が意識にまでのし上がって来ることは、必ず激しい抵抗が起こる。そうだからこそ、その過程は無意識的なものにとどまったのだ。

・抵抗によって我々に示される、病因的な心的過程を抑圧と呼ぶ。

 

第11―16段落

テーマ:無意識の構造

・あらゆる心的な動きは、はじめは無意識の部屋にあり、しかるのちに意識的な部屋に移行する。

・無意識の部屋から意識的な部屋の敷居のところには、一つ一つの心的な動きを検査し検閲する一人の番人がいて、自分の気に入らないものは意識的な部屋に入れない。

・番人は、心的な動きを敷居のところで追い返すこともあれば、一度意識の部屋に入ったあとで追い返すこともある。これは番人の用心の程度が異なるが、それだけの違いでしかない。

・抑圧とは、無意識の心的の動きが意識の部屋に入ろうとするも、番人によって追い返されること。

・しかし、意識的な部屋に入っただけでは、必ずしも意識的なものになったとは言えない。意識の目をうまく自分に向けさせることができた場合だけ、それは意識的なものになる。そのため、意識的な部屋は、前意識の部屋と呼ぶべきである。

・番人とは、夢の検閲を行っていたものと同一。

・昼の名残とは、前意識の中に残っていたもののこと。

 

第17-段落

テーマ:症状は、抑圧によって阻止されたものの代理物であるが、いかなる種類の心的欲求が抑圧に屈服してしまうのか。いかなる力によって抑圧は遂行されるのか。

・第二の経験:不安ヒステリー、転換ヒステリー、強迫神経症の患者の分析をすると、われわれは患者の性的な体験と願望にぶつかるし、彼らの症状が性的な願望に奉仕していることに気づく。つまり、これらの人々は現実が彼らにその性的願望の満足を許さない場合、何らかの仕方での欲求阻止のために病気になる。

精神分析では反対は矛盾を意味するものではない。症状は性的な満足を意図するか、あるいは性的満足の防衛を意味しているかのいずれかである。

・性の代償的満足という概念が拡大されていると思われるかもしれないので、人間の性生活について考察を加えて、何が性的と呼ばれるにふさわしいかを考えていく。