フロイト「精神分析入門」読書会(第三講)
メンバーのべとりんです。3連投目。2016/4/29 22:00-23:00にSkypeで行われた読書会のレジュメです。今回は第三講を読みました。
週一で一講ずつ読んでいるのですが、フロイト精神分析入門は意外と読みやすいので、もう少しスピードアップしてもいいかもしれないな、と思いました。
以下、読書会のレジュメになります。
第三講 錯誤行為(つづき)
・導入(p44L1-P44L16)
・錯誤行為は、場合によってはそれ自体が独自の意味を持っている(=錯誤行為に意味がある)ことが広範にわたって確かめられるとすれば、錯誤行為の持つ意味のほうが、錯誤行為が起こる事情よりもはるかに興味深いものになる。
・「意味」とは?
- ある心的過程がその実現を期しているところの何らかの意図
- その心的過程が一連の心的な動きの中で占めている位置
*「意味」とは何か?という議論は重要。もう少し考えてみたい。
・引き続き、錯誤行為の中でも言い違いに絞って、錯誤行為が意味をもつかどうかを概観してみる。
・言い違いが意味を持つ観察例(P45L1-P46L12)
・第一の例:意図された言葉とは逆の言葉が口をついて出る例
・第二の例:言い違いが正反対にならなくても、その言い違いのために本来の意向とは対立する意味が表現される例
・第三の例:言い違いが、言おうと思っていた意味に第二の意味を付け加えてしまう例
・言い違いがそれ自体では意味を持っていない場合(P46L13-P49L9)
・このような実例も、その歪みを理解するのは難しくない
・固有名詞をゆがめる場合:軽蔑の気持ちを表現する周知の手段
・意味があまり明瞭ではない言い違いの場合でも、異なった二つの意図が衝突し、干渉しあうということで説明できる。
・結論(P49L10-P49L13)
・錯誤行為は決して偶然のものではなく、大真面目な心的行為であって、固有の意味を持ち、二つの異なった糸の共働、相互の衝突の結果として生じたもの。
・反論について(P49L14-P53L11)
・Q1:今のあなたの説明は、言い違いのすべての例に当てはまるのか(P50L16-
・「私は説明がつくと信じて疑いません」
・なぜならば、言い違いの実例を検討してみると、いつもそのように説明できるから
・証明は不可能。でもそれで構わない。なぜならば、言い違いの少数例だけでも、われわれのやり方が説明できれば、精神分析の入門にとって必要な結論は成り立つから
・Q2:同じ説明が、それ以外の多くの錯誤行為に当てはまるのか
・当てはまる。
・Q3:疲労や興奮などの要因は、錯誤行為にとって意味があるのか
・疲労や興奮などの身体的な諸条件は、言い違いに特有の心的機制が活動しやすいように、手助けしているに過ぎない
・音の影響、言葉の類似性、およびその言葉にともなって自然と生じてくる連想など、これらを無視することは何といっても不可能。だが、これらは言い違いがその上を歩いて行ける道を指し示すことによって、言い違いが起こりやすいようにしてくれている。だが、たとえ道(*類似した異なる言葉、など)があっても、その道を行くことを決心させるほかの動機が必要だし、私にその道を歩いて行かせる力が必要。
・Q4:錯誤行為の中で互いに競い合う二つの傾向のうち、隠れている意向を明らかにするにはどうすればいいのか。また、この隠れた意向をこれだと証明するにはどうすればいいのか
・隠れている意向=本来の意向を妨害する意向
・第一の系列(本人が自覚がある)場合、話す当人から直接に報告を聞くという方法で妨害する意向を突き止めることができる
・自己申告について(P54L12-
・「言った本人が言ったことなどあまり当てにはならないのでは?」
・「心の自由」などというものは存在しないぞ!
・「言い違いをした本人が、強硬に言い違いの意図を認めない場合があるが?」
・自分のやった錯誤行為には何の意味もあるはずがないと躍起になって主張するところに、この青年のある個人的に強い関心が表れている
・暫定的な妥協点:
・これだけ掘り下げただけでも、お互いの間に根本的な相違が出てきたでしょうか。
・錯誤行為の意味は被分析者がそれは承認した場合に限っては、それはそれで文句のないものとして承認していただきたい。
・被分析者が報告を拒否するとか、何も言うことがないというときには、我々が推測した意味を直接に証明することができないとする。
・被分析者の述べるところだけで錯誤行為の意味が明らかにされない時には、間接証拠をどこに求めるべきか?(P59L15-P65L19)
・錯誤行為以外の現象からの類推。
・まとめ
・こういった錯誤行為の例は、いくらでも集めることができる。
・これらの例はすべて、同じ結論に到達している。
・錯誤行為には意味があり、この意味は付随する事情からこれを察知したり、確証したりすることができる
・特別な二種類の錯誤行為
・重なり合い組み合わされた錯誤行為
・われわれの解釈が、あとから起こってくる事件によって確かめられるもの。